司法試験受験生にとっては,芦部信喜先生の「憲法」が定番の基本書である。 私も,受験時代はずいぶんお世話になった。
他方,私が購読している朝日新聞では, 長谷部恭男先生,木村草太先生や青井未帆先生が,インタビュー記事に出ていたり, ニュースに対してコメントしていることが多い。 これらの先生は,憲法学のニューフェイスといったところだろうか。
しかし,私がこれまで読んできた憲法に関する本の中で,一番面白いと感じたのは, 芦部先生の本でも長谷部先生等の本でもなく,
阪本昌成先生の「憲法1 国制クラシック」である。
本書の特徴は,国制の基礎理論が,クリアな筋をもって明晰に語られている点にある。そのため,読んでいて,「確かにそうかもしれない。」と納得させられるものがある。
たとえば,一般の教科書では,国家の統治権を「立法権・行政権・司法権」に分け,
「行政権は,内閣に属する」とする65条の「行政」の意義について,
行政法学上対立があると説明されている。
これにたいし,本書では,
「憲法第5章でみられる「行政」というタームは,統治の基本方針を決定する国家作用を意味する「執政」と,国会の制定した法律の執行作用を意味する狭義の「行政」とい,ふたつを指している。」(208頁)
とし,
「内閣と国家行政組織とを一体にして「行政府」と表現するとすれば,内閣権限の正確な分析は困難となる」(209頁)
と,「行政」の意義を統一的に捉えようとする問題設定自体に誤りがあると指摘している。
また,象徴天皇制における「象徴」という言葉についても,
「象徴的代表とは,ある人物または機関のはたす役割を指すにとどまる・・・「象徴」は,憲法上の権限配分と無関係であって,法的意義をもたない。1条の「象徴」規定を根拠として,たとえば国会開会式における「おことば」を述べる行為を,国事行為でもない私的行為でもない「象徴としての行為」として説明することはできない」(129頁)
と,「象徴」という言葉に法的意味を読み取ろうとすること自体が誤りであると述べている。
その他,「民主主義」という言葉について,
「「民主主義」と訳出されるデモクラシーは主義主張のことではなく,正確には政治体制を表す用語である(それは「民主制」と訳出されるべきだった)。」(39頁)
と,国家統治に関する思想体系,実体的価値とは離れた概念であることに注意を喚起したり,
一般的には相互互換的に使用されることの多い「裁判」「司法」という言葉についても,
「法治国は,実質的な意味の司法の範囲についても,決定された裁判手続に従いながら,「法律の留保」のもとで,法令を適用することによって民事および刑事事件を解決する作用をいう,としてきた。・・・これに対して立憲国である英米の「司法」は「義会制定法の執行」または「一般的抽象的な義会制定法の定めを個別事案に適用すること」と同義ではない,と考えられてきた。司法とは,”正義を司ること”であり,・・・裁判手続も,正義の発見(個別的にも,一般的にも正しい解決)にふさわしいように工夫されてきた。」(222頁)
と,両者の意味が同じではないことを指摘したりしている。
このように本書では,キーワードの使われ方について細心の注意が払われており,憲法という「国のかたち」がロジカルに理解できるように配慮されている。
敢えて欠点(欠点と言えるかどうかだが)を挙げるとすれば,本書は,いわゆる「政治的配慮」には目をつむっているため,通説と異なる結論になっていることが多いことだろうか。
そのため,資格試験用のテキストとしては使いにくいかも知れないが,憲法が漠然として分からないという人にとっては,本書に一度目を通せば,逆に,その他の教科書に書かれている内容も理解しやすくなると思う。
少なくとも,私の場合について言えば,本書を読んでから,憲法の統治部分については苦手意識がなくなり,司法試験の口述試験(今は,口述試験はなくなったのでしたね)でも自信を持って対応することができたので,本書を読むことの御利益はあった。