(前回のお話しは、こちら)
さて、A社が、複数の元従業員から、残業代の支払いを求めて、労働審判を申し立てられたという話であった。
労働審判、特に、未払残業代の支払いを求める労働審判は、ここ数年増えているようなので、顛末について、少し詳しく報告しよう。
さて、申立書をFAXで送ってもらったところ、1週間後に証拠一式も揃えて答弁書を提出しなければならないと書いてある。しかも、主張も証拠も、できるだけ全部、答弁書に盛り込まなければならないと。これはなかなか、いや、かなり厳しいスケジュールだ。
取りあえず、翌日、社長等に事務所へ来てもらって、話を聞いてみる。
社長曰く
「彼らは管理者ですよ。うち1名は店長でしたから、残業代は発生しないじゃないですか?」
「残業時間中、彼らはタバコを吸っていたりボヤッとしているばかりで、ろくに仕事をしていなかったです。後任の従業員は、同じ仕事をもっと短い時間でやっていますよ。それなのに、残業代を払わなければいけないのですか?」
まあ、予想していた反応ではある。
前者については、経営者の多くが同じような反応を見せるが、かつて、「名ばかり店長」問題が取りざたされていたように、「店長」でありさえすれば残業代が発生しないというわけではない。
労働基準法では、「監督若しくは管理の地位にある者」について残業規制の適用を除外しているが(労働基準法41条)、それは、「労働条件の決定その他労務管理について経営者と一体的立場にある者」を意味するとされている。
今回,労働審判を申し立ててきた人々には、在職中、そこまでの権限は与えられていなかったので、裁判所には受け入れてもらえそうにない。
そのような説明をしたところ、社長は、渋々ながらも、納得したようであった。
社長曰く
「でも、『残業時間中、実質的には仕事をしていなかった』という主張はどうですか? なんか、納得いかないのですけど。」
「『仕事をしていなかった』という証拠はありますか? 例えば、早く帰宅するよう促した注意書とか。」
「ないですねえ。労務管理については、まとまった記録を取っていなかったし。」
「そうですか。労働事件では、とにかくできるだけ書面の記録を残すのが鉄則なんですけどねえ。となると、証拠は、社長の言葉だけかあ。それはつらいなあ。
うーん、それじゃ、後任従業員のタイムカードを全部持ってきて。それと比較しながら、『後任従業員の勤務時間+αを越える時間については、実質的に業務に従事していなかった』と主張してみましょう。」
というわけで、相談後、直ちに答弁書などを作り始めつつ、打合せの2日後、後任従業員、申立人それぞれのタイムカードを全部送ってもらい、約半年分のタイムカードとにらめっこしながらデータをExcelに打ち込み、後任従業員のデータと対照させながら、「適正な残業時間は、これこれである。」というようなデータを作ってみた。
そして、裁判所から指定された締切日の2日後には答弁書一式を完成させ、裁判所と申立代理人の双方へ提出した。
このとき、多分自分は、「短い時間でよくここまでやったじゃないか。グッジョブだね」などと、心の中でつぶやいていたかも知れない。
だが、自分では「グッジョブ」のつもりでも、裁判所に受け入れられるかどうかは、また別問題だ。
案の定、私が精魂を傾けて用意した「労働の実態がないから、その時間は残業代を払わない」という主張は、
「『労働の実態がない』といっても、使用者の監督下にはあったわけで、使用者が「早く帰宅させる」などの監督権を行使しなかっただけでしょ。本裁判になったら、この主張は通らないですよ。」
という裁判官の一言で、敢えなく撃沈してしまった。
裁判官の言っていることは、ある意味、正論である。
後日読んだ、裁判官の書いた本でも、「(労働時間の間)使用者の監督下にあるという事実が認定できたら、提供された労働の質が使用者が期待したほどのものでないとしても、そのことを理由として、使用者が賃金支払義務を免れるものではない」とあるので(渡辺弘「労働関係訴訟」147ページ)、こちらの主張が通る可能性は、はじめから小さかったのだ。
とはいえ、「『労働審判』は、『裁判』とは違って、ハッキリ白黒つける手続ではないから、こちらの気持も少しは汲んでくれよと思ったのは事実である。
さて、このように、法的に反論できなくなったA社であるが、それでは、各申立人の求めに、唯々諾々と従うしかないのか。
いいや、そんなことはない。A社にはもう一つ、武器が残っていた。
(続く)